書籍紹介 「三江線の過去・現在・未来 地域の持続可能性とローカル線の役割」

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国鉄闘争全国運動会報155号掲載記事(2023年4月15日発行)

三江線廃止の経緯と教訓、論点などを検証

JR西日本は2018年4月、三江線(島根県・江津駅~広島県・三次駅)を廃線にした。三江線の営業距離は108・1㌔。国鉄分割・民営化後、本州におけるJRの廃線路線としては最長距離だ。

本書は、「三江線の歴史を振り返るとともに、三江線廃線問題の経緯を記録しこの教訓を明らかにすることで、今後の沿線地域の将来および地域公共交通のあり方を展望すること(はしがき)」を目的に刊行された。島根大学の関耕平教授ら8人の執筆による。

「三江線の歴史」「三江線の現在」「三江線の未来」の3部構成となっている。

江の川と三江線

第1部は江の川流域と三江線の歴史が書かれている。

三江線は、広島県に水源を持つ全長194㌔の中国地方最長の河川である「江の川」によって形成された急峻な渓谷沿いを走る。中国山地の造山活動を江の川の侵食力が上回り、広島県が水源にもかかわらず中国地方を横断して日本海側に注ぐのが際立った地理的特徴だ。

このため日本海沿岸地域と瀬戸内地域を結ぶ水運ルートの舞台として流域の歴史は展開した。山陰地方から中国山地一体に鉄器を広げたのは三次盆地の商人や鍛冶屋だった。

中世には出雲国と安芸国の境界となり、また石見銀山とも隣接していることから戦国大名の尼子氏と毛利氏の激しい攻防の舞台となった。また江戸から明治期にかけては、江の川流域は「たたら製鉄」が盛んに行われた(映画『もののけ姫』の「たたら場」も島根県がモデル)。豊富な砂鉄と森林資源に加え、江の川の水運が製鉄を支えた。

歴史的に形成された江の川水運の機能を鉄道という形で継承したのが三江線だ。江の川の流れに沿って三次から日本海側の石見地域の江津までをつなぐ路線。明治中期から鉄道敷設の運動が始まった。当初は、朝鮮半島との貿易港だった浜田と軍都廣島を鉄道で結ぶことが軍事的・経済的に重要と考えられた。

しかし、山陽側において重点的に鉄道・港湾整備、殖産興業などの公共投資が行われ、山陰地方側の開発は遅れた。その後は、地域の人口流出などの解決を企図して三江線敷設運動が展開された。しかし、難工事と戦争による中断などで敷設工事は遅々として進まず、全線開通は戦後に持ち越された。

1958年に三江線全通促進県民大会(1500人)が開催され、60年にようやく工事が再開された。しかし産業構造の転換などを背景に63年サンパチ豪雪も引き金となり都市部への人口流出が加速。こうして全線開通は1975年、他路線と比べて大きく立ち遅れた。

廃線化の経緯

第2部は「廃線問題にどう向き合うのか」と題して三江線廃線の経緯と検討・検証すべき点が記されている。

廃線化の伏線・兆候は早く、豪雨による土砂崩れなどの災害が中国地方で多発し、JR西日本は06年、13年の災害復旧の際に廃線の検討を本格化した。

JR西日本の主導で「三江線沿線のあり方勉強会」が幾度も開催された。しかし結果的に協議会が廃線を前提とした手続きだったと地元の住民は憤る。観光キャンペーンなどの取り組みも廃線の判断材料にされた(地元の自治体職員)。

2015年10月に地元紙が廃線検討を1面で大きく報じた。地元自治体の議会で存続決議などが次々と上がるが、JR西日本は一方的にバス転換案などの住民説明会を開催した。その後、第3セクター方式や上下分離などの存続策の協議の場も設けられたが、JR西が鉄道運営に一切関与しないことを前提とした議論であり、周辺自治体は財政負担に対応できず、いずれの案も退けられた。次第にバス転換が既定路線かのような雰囲気が漂い始める。

こうして報道からわずか11か月後の16年9月、JR西日本は正式に廃線届を国土交通省に提出する〝短期決着〟となった。

三江線廃線の論理としてJR西日本が主張したのが、①大量輸送という鉄道の特性を発揮できていない、②通院や買い物などが地元で完結する地域ニーズに合致していない、③利用者の減少に歯止めがかかっていない、④災害被災と復旧の繰り返しは社会経済的に不合理――の4点だ。

赤字路線であるといった収支については一切触れられていないことに注意が必要だ。しかし、赤字が理由ではないと言いながら「鉄道維持のコストの問題」の論調が強調されていく。住民説明会でJR西が最初に示したのが「輸送密度の推移」で、人口減少を上回るペースで利用者が減少したことを強調した。

短期決着の打破を

本書は、今後の検討・検証が求められる論点を次のように指摘している。

何よりも三江線廃止の意思決定のプロセスがきわめて短期間で住民や自治体が関与できなかったことだ。わずか1年足らずで廃止ありきで議論が進んだ。「いかなる形態でもJR西は鉄道を維持しない。維持したいのであれば、沿線の自治体や住民の自腹でどうぞ」という構図になった。まずは短期決着を打破する闘いや迫力、論理や宣伝が必要だ。

利用者減少の背景として住民から「使いたくても使えなかった」の声も指摘している。例えば山陰本線と接続する江津駅発の列車は廃線前はわずか1日5本に。朝5時53分発の次が12時34分、しかも江津駅を出発した直後に特急が到着するなど「同一の鉄道会社かと目を疑うダイヤ」だった。

「朝は通学に利用するが、帰りは時間が合わないため駅まで迎え」「通院の帰りがタクシーで医療費の数倍かかる」などの利用実態や地域ニーズについて十分に検討や対応ができなかったと指摘する。

またJR日本は、活性化協議会の成果が乏しいことを廃線の理由として強調した。「利用者が少ないから廃止」という論理は、バス転換も同じ論理に陥る。しかもJR西日本は一定期間の関与で逃亡するのだ。さらに保安費用の縮減が災害への脆弱性を惹起したことや、行政・政治による取り組みなど様々な論点を検証している。

廃線から5年、三次駅から江津駅まで約120㌔の移動に6本のバスを乗り継ぎ、13時間が掛かる。代替バスは年2億円の赤字で周辺自治体が穴埋めしているのが現状だ。

第3部では、可部線の廃線などを取り上げる。問題意識がいろいろ喚起された本だった。

(今井出版/2017年3月31日発行/定価1111円+税)

「国鉄闘争全国運動」さんからの投稿です。

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