ダマされるな!「末端路線をカットすれば日本経済は豊かになる」という「世論の大ウソ」

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日本の各地で赤字路線の廃止・存続を巡る議論が噴出しているが、ローカル鉄道はむしろ、過疎・過密化が進む中で重要なインフラである。ここからは、議論の背後に潜む問題点について論じていく。

山下 祐介 東京都立大学教授社会学者

ダマされるな!「末端路線をカットすれば日本経済は豊かになる」という「世論の大ウソ」(山下 祐介) @moneygendai
報道などでは、JR東日本が末端の路線を切りたがっているという論調になっている。もしそれが本当なら、筆者にはとうてい理解できない話である。

前編記事『「赤字のローカル線は要らない」と言う人たちが見落としている「そもそもの議論」』より続く。

赤字どころか大黒字

報道などでは、JR東日本が末端の路線を切りたがっているという論調になっている。もしそれが本当なら、筆者にはとうてい理解できない話である。

これも新聞報道によると、JR東日本の2022年度のローカル線34路線の赤字総額は648億円である(2023年11月22日付、日本経済新聞)。そのうち、最も赤字額が大きな路線では9億4400万円にのぼるとされている(ただし、これに34をかけても648億円には達しない。どういうことだろうか)。

9億円や648億円という金額を見ればたしかに驚く。また、そこで掲げられている「営業係数」によれば、ある路線では、運輸収入100円を得るのに1万6821円がかかっているという。これではJR東日本はやっていけないと納得してしまいそうである。

もっとも、コロナ禍を経て各社の経営は大幅に改善しており、同じく日経新聞2024年5月16日付では、2025年3月期のJR東日本の営業見通しは売上高2兆8520億円、純利益2100億円と報道されている(ちなみに、JR東海の純利益見通しはさらに大きく、3810億円である)。

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こうしてみると全体の黒字に比べれば、赤字路線の赤字額など比較にならないほどの数字だ。要するに、前回問題にしたバランスはここではきちんと保たれており、JR東日本がその中で躍起になって廃線化を目論んでいる、というのはやはりどうにも考えにくい。

鉄道事業者にとって一つ一つの路線こそが財産であり、すべての起点である。沿線に住む人々を含め、利用する全国民のためにも、路線を一つでも長く維持することが、その本来、目指すべきものであるはずだからだ。

しかもいま見たように、急いで何かを切り捨てねば自分が倒れるなどという状況にもない。

むしろ収益が黒字のうちにきちんと手を打ってネットワーク末端での利用再生をはかり、そのことでもって日本社会全体のバランスを保ち、この国全体の人口回復をはかっていくことこそが、JR東日本自体の存続を考えるためにも必要なことである。

そして筆者にはどう見ても、報道が示しているようには、JR東日本がその責任を今放棄しはじめているとは到底思えないのである。

欧州ではむしろ…

国交省が設置を認める再構築会議は、実はまさにこうしたことを末端から議論し、地域の再生、鉄道の再生をはかり、それをもって日本再生をはかること、こうしたものをめざすもののはずであった。文書を見る限りそう読める。

そして筆者には、JR東日本にもまたそうした意図があって会話を提案しているものと考える。

だが、にもかかわらず、そうした意図が背後に隠れ、廃線か存続かという単純な論議だけがメディアの中で先行してしまう。そのあおりを受けてこのまま実際に廃線化が進んでしまわないかが大変危惧される。事実、津軽線がそうだったように。だが、これはいったいなぜなのだろうか。何が起こっているのだろうか。

私たちのうちには、こうした「スリム化」が必然的な流れだと思い込んでいる人もいるようだが、今、ヨーロッパではむしろ、鉄道への公共投資が進んでいるという。

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日本の場合、そもそもの矛盾の原因として、1987年に行われた国鉄の民営化によるJR6社分離にある。筆者が勝手に言っているのではない。権威に頼るようだが、かつて自民党副総裁・麻生太郎氏がそう公言した厳然たる事実である。

無理に会社を地域で割ったから収支バランスが崩れたのだ。一方に収益の過密と、他方にその過疎と。ただし、東京一極集中が新幹線という高度高速網の大幅黒字化を実現し、グループ全体で見れば鉄道は決して衰退してはいない。リニア新幹線の建設も進む。むしろ私鉄の苦難のほうが心配である。

企業はそもそも国家の公共の一翼を担うアクターである。自己の利益を持続させていくためにも、社会全体のバランスに貢献しなければ生き抜けない。そしてJRグループは、国鉄を出自としている以上、そうした意識を持たない企業であるということもありえない。

だから再びこう問わなくてはいけない。なぜそうであるにもかかわらず、これほどまでにJRによる末端赤字路線切りの意図といった話が、報道の中で再三現れるのだろうか。

何らかの意図が働いている

筆者が地方消滅論や地方創生論、さらにはその前の東日本大震災・原発事故からの復興過程をこの10数年追う中で、このことに状況に即して考える仮説は次の3つである。

第一に、JRグループや国土交通省の真の意図を捻じ曲げて、あたかも彼らが廃線化を進めようとしているかのように報道しようとする動きがあるのではないかということである。

すなわち、メディアの言説をそのように持っていこうとする一部の権力意思が働いているのではないかということだ。

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考えたくないことが、筆者は実際に過去にいくつものそうした実例を見てきた。例えば、2014年5月に示された国交省「小さな拠点事業」の発表の際には、末端の過疎集落を守るためのこの事業が、末端集落を集約し廃村化させるための事業であるかのように報道された(拙著『「都市の正義」が地方を壊す』PHP新書、第4章参照)。担当者はあその誤解を解くために、数年歩いたとも聞く。

あるいはまた、同様のことがスマート自治体を最初に提唱した総務省の報告書「自治体戦略2040」(2018年7月)にも見られたことに注意を促したい(〈深刻な人口減少・少子化問題に「余計な手を打つ」この国の現実〉2018.07.30参照)。この時は明らかに政府筋の人物の影が報告にもあらわれていた。

これらのメディアのある種の「誤報」はだから、ただ報道関係者が誤ったというのではなさそうである。そこにはどうも意図的な、政府・霞が関周辺の一部の人物による誘導(リーク)が働いていたと断定せざるをえない形跡がある。でなければ新聞はこんなことを書かない。

だがこうした世論誘導も、裏でこそこそという、小細工だけで動くものではないことも事実である。

排除の意志が入り込んでいる

第二に、まさしく前回・前々回に触れた消滅可能性都市(持続可能性都市)レポートこそが、こうした末端切りを正当化する世論作りを狙ったものだということができよう。

10年前の増田レポートにも、当時の現役官僚が数名関わっていたとされている。

末端切りを正当化するような議論を示すことで、予算や事業の「選択と集中」を推し進めることがこれらのレポートの目的である、と私などは考える。

もしそうであるなら、ともかく私たちはこうした一部の人たちの世論誘導に惑わされてはいけない。だが最も心配なことは次のことなのである。

第三に、こうしたリークや陰謀めいたレポートの提出の背後で、これらの世論誘導が進めようとする「選択と集中」こそが<人口減少・財政難>を乗り切るための日本社会の唯一の道だという信念が、今や多くの人に芽生えはじめていないかということだ。

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だが、誰かを犠牲にして自分だけを守れる「社会」などというものはない。「社会」とは、みんながみんなでその幸せを守っていくことにほかならない。

これに対し、鉄道をめぐる末端切りを余儀なくさせる世論には、この「社会」から、一定の人を排除しようとする意志が入り込んでいることになる。それでは社会は成り立たない。地域再生や国家再生、いや経済再生さえおぼつかない。

おかしな声に惑わされるな

排除と支配がうごめく社会の中では、問題解決も創発もイノベーションも、生産性や効率性さえ働くことはない。

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中央発の一見威勢のいい掛け声のもとで、多くの国民はその様子をうかがい、自分に有利なところだけ参加しようと、その機会を探るようになるだろう。いや、すでにそうなってはいないか(だから繰り返すように、改正地方自治法で政府の権限を強めても感染症対策が強化されるようなことはありえない。むしろ逆効果である)。

他方で、国も企業も自治体も、何より日本の地域社会には、なおも社会をしっかりと守ろうとする姿勢は健在である(例えばなお、限界集落が消えないように)。

おかしな声に惑わされず、「社会とは何か」を皆でしっかり共有できることこそが、鉄道を守るということだけでなく、私たちの地域・国家を再生し、維持していくために不可欠なことなのである。

そうした末端からの再生の議論の場にこそ、交通再構築会議はなっていく必要がある。いや、こうした末端の場こそが再生のチャンスであり、可能性なのである。

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