JR東日本が久留里線の廃止を決定。1987年の823人から2023年には64人に減少した利用者数は、地域人口減少やモータリゼーションの影響が大きい。代替手段として提案されるバス転換には、乗務員不足や地元自治体の支援が必要なため、課題も多い。地域活性化を目指した観光資源活用も含め、今後の対応策が注目される。
輸送密度92%減少の衝撃
2024年11月27日、JR東日本は久留里線久留里~上総亀山間について、「バス等を中心とした新たな交通体系へのモードチェンジを図ることが必要」と発表した。要するに、鉄道としては「廃止する」ということだ。信越本線横川~軽井沢間や、災害で廃線となった岩泉線などを除けば、JR東日本の鉄道路線廃止は今回が初めてとなる。
久留里線は、木更津~上総亀山間を結ぶ地方交通線だ。1987(昭和62)年4月1日にJR東日本が国鉄から継承して以降、利用者数は減少を続け、特に久留里~上総亀山間の1日輸送密度(1kmあたりの1日平均旅客輸送人員)は1987年度の823人から2023年度には64人にまで減少した。これは
「92.2%の減少」
で、年平均減少率は約2.6%に達する。一方、君津市上総地区の人口は、1965年の15396人から2024年10月末時点で5623人に減少しており、約63.5%の減少となる。年平均減少率は約1.1%だ。このように、久留里~上総亀山間の1日輸送密度の減少は、沿線人口減少率の
「2倍以上の速度」
で進んでいる。
利用減少の背景
同区間の利用が極端に減少した理由は、
・モータリゼーションの進展
・高速バスの運行
・東京湾アクアラインの開業(1997年)
の三つだ。これにより、若い世代が都内や川崎・横浜に転出したことが影響した。君津市企画調整課交通政策室は、
「人口減少やモータリゼーションの進展が、久留里線の利用を減少させた。木更津東インター開業により東京湾アクアライン経由で都内に出やすくなったことも大きな要因である。大学進学を機に沿線を離れる若い層や、保護者による高校生の送り迎えが増えたことも影響したと考えている」
と説明している。
上総亀山駅から東京駅へのルートをGoogle検索で調べたところ(金曜日午前7時30分に出発)、自動車の場合、通常1時間20分から2時間(72km)で到着するのに対し、鉄道を利用する場合(木更津駅で内房線に乗り換えるルート)は
「2時間31分」
かかると表示された(JR線の営業キロは106.5km)。自動車なら時間帯を選ばず、9時30分には東京駅に到着するが、鉄道の場合、上総亀山駅発は7時53分で、東京駅到着は10時24分となる。1本前の6時53分発でも、東京駅到着は9時31分だ。JR線は東京湾アクアラインよりも遠回りであり、所要時間において不利な状況が生じている。
また、上総亀山駅に近い亀山温泉ホテルの鴇田(ときた)英将社長によれば、「当館来場者の8割はマイカー、1割が高速バス、残り1割が鉄道という構成となっており、仮に鉄道が廃止となっても業績への影響は限定的と考えている」とのことだ。
高速バス代替困難、課題は速達性」
JR発足直後の1987年4月号の『交通公社の時刻表』を見ると、久留里~上総亀山間では上下線合わせて28本の列車が運行されていたが、現時点では17本に減少している。輸送密度が9割減少した一方で、列車本数の減少率は「4割」にとどまっており、
「JRの努力」
もうかがえる。2023年3月8日、JR東日本千葉支社は君津市および千葉県に対して、久留里~上総亀山間の地域交通体系を協議するための「JR久留里線(久留里・上総亀山間)沿線地域交通検討会議」の設置を申し入れた。
これを受けて、千葉県が事務局となり、同年5月11日に第1回会議が開催され、その後5回の審議を経て、2024年10月28日に「JR久留里線(久留里・上総亀山間)沿線地域交通検討会議検討結果報告書~沿線地域の利便性の高い公共交通への提言~」が公表された。報告書では、
「上総地区では、『平日最大15人程度、休日最大20数人程度のまとまった移動需要と、それ以外の散発的な移動需要』があり、当該地区で提供されている交通サービス(鉄道・高速バス・デマンド交通など)は、これらの移動需要に適していないことがわかった。当該地区での移動需要を考慮すると、自動車中心の交通体系への移行により、より利便性の高い地域公共交通が実現すると考えられる」
との議論結果を記した。君津市企画調整課も
「久留里線と並行する高速バスへの代替は難しいと考えている。ドアが先頭に1か所しかなく乗降に時間がかかるのと、高速バスの特性である速達性が失われる懸念もある」
と説明する。
廃止反対の声と自治体の対応
現状の鉄道を維持することができないとしても、バス転換には課題が残る。まず、バスの乗務員不足が深刻な問題だ。バス事業者は、利用者の多い路線に人員を優先的に配置しているため、代替バスを運行するための十分な乗務員を確保できるかは疑問である。
また、沿線の道路環境にも不安がある。筆者(大塚良治、経営学者)は上総亀山駅近くの亀山・藤林大橋バス停から高速バス「カピーナ号」千葉駅行きを利用したが、途中で大型車両のすれ違いが難しいトンネルがあり、バスや対向車両が手前で待機する場面も見受けられた。定期的なバス運行を行うには十分な環境が整っていないと感じた。さらに、山間部で急カーブが多く、冬季の路面凍結や悪天候、地震時の斜面崩落などの災害リスクも懸念材料である。
地元には廃止反対の声も根強い。「久留里線と地域を守る会」の三浦久吉代表は「千葉県、君津市、JR東日本、有識者、および住民代表が委員として議論する検討会議は、わずか5回の会議を開いただけで、JRは住民の声を無視して久留里~上総亀山間の廃止を強行した。JR東日本の姿勢に憤っている」としたうえで、
「再構築協議会が設置された芸備線沿線の関係自治体は『廃止は受け入れらない』という強い意向で会合に臨んでいる。自治体の力はJR東日本も無視できないはず。われわれは廃線を阻止するため、千葉県や君津市に強力に働きかけていく」
と強調する。君津市企画調整課も
「住民に対して『久留里・松丘・亀山地区住民の移動実態に関するアンケートの結果』やJR東日本からの申し入れがあったことなどを共有したが、守る会の方と具体的な突っ込んだ話し合いはしていない」
と認める。守る会の三浦代表は、
「自治体から鉄道を残すことをJRに要望すると、資金負担の話になることは避けらない。それを恐れているのではないか」
と行政に対する疑念を隠さない。また、協議会設置から2年も経っていないタイミングでJR東日本が廃線を発表したことが適切だったのかについても疑問が残る。国は鉄道の存廃について話し合う再構築協議会を設置し、協議開始後3年以内に結論を出すことを目安としているが、住民から廃止反対の声が上がっている以上、筆者はJRには少なくとも3年をかけて十分に説明する責任があったと考える。
2023年度の廃止区間の営業収支は2.35億円の赤字であるが、JR東日本の営業利益は約3452億円で、この赤字額は営業利益の
「約0.07%」
に過ぎない。結論が1年延びたとしても、同社の業績への影響はほとんどないだろう。
廃線を観光資源に変える挑戦
利用者が少なく採算が取れない鉄道路線を維持するためには、行政をはじめとする関係者が費用を分担することが避けられない。しかし、財政的に厳しい自治体にとって、人口減少にともない税収が減少するなかで、社会インフラの維持に必要な予算を確保するのはますます困難になっている。
例えば、水道管の老朽化が進み、水漏れ事故が頻発しているが、水道管の交換ができない自治体も増えている。水道は命に直結する重要なインフラであり、代替手段がほとんどないため、最優先で守らなければならないが、それでも予算が足りない。一方、鉄道には自動車という強力な競合が存在する。そのため、自治体としては、鉄道への支援よりも、水道維持を優先せざるを得ないのは自然な流れだろう。
亀山温泉ホテルの鴇田社長がいうように、上総亀山駅周辺の観光施設を訪れる観光客の大半が自動車で来ている現実が久留里線の経営を圧迫した。久留里~上総亀山間の廃線は避けられない可能性が高い。それならば、せめてその鉄道施設を観光に活用する方法を考えたい。鴇田社長は
「久留里~上総亀山間の約10kmには景色の彩りや、山間の渓谷を抜けて終点に辿り着くという点で非常に見ごたえがあり、価値がある。終点の上総亀山駅周辺の活用、また仕掛けをしていくべきであると思っている。線路の上で寝そべるスタンドバイミー体験や、久留里線のキハシリーズ1両を久留里~上総亀山間でゆっくり走らせて、お座敷列車として食事ができる体験など、活用方法はある」
と提案している。このアイデアに対して、君津市企画調整課は
「廃線施設をJRから譲り受ける場合、維持費用が発生する問題がある。(鉄道施設の譲受は)地域のありかたの中で考えていくことになる」
との立場を示している。
廃止された鉄道を観光に活用する事例はいくつかあるが、ここでは福岡県北九州市の平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線を紹介する。JR貨物が持っていた貨物線を北九州市が買い取り、自身が保有していた貨物線と合わせて観光目的で活用するために、常設鉄道として初めて特定目的鉄道の事業許可を得た路線だ。この路線では列車が主に土日や祝日に運行されている。廃線施設を地域の観光資源として再生させた象徴的な例といえるだろう。
先人たちが築いた鉄道遺産は貴重な文化財でもある。これを有効に活用する方法をしっかり考えたい。鉄道を維持できなかった地域であるという事実は消せないが、廃線となった施設を観光施設として再生させることで、新たな可能性を切り拓けるはずだ。
久留里線が示す地方鉄道の存続課題
久留里線の歴史を簡単に振り返ると、1912(大正元)年12月18日に千葉県営鉄道久留里線として木更津~久留里間が開業したのが始まりだ。その後、鉄道敷設法(大正11年法律第37号、大正11年4月11日公布)の別表第48号に
「千葉懸木更津ヨリ久留里、大多喜を經テ大原ニ至ル鐡道」
として予定線に挙げられ、1923年9月1日に国有化された。1930(昭和5)年4月1日には木原線として大原~大多喜間が開業し、1934年8月26日には上総中野まで延伸された。そして1936年3月25日には久留里線が上総亀山まで延伸開業したものの、上総亀山~上総中野間が結ばれることはなく、木更津~大原を結ぶ木原線の実現は果たせなかった。
その後、久留里線は最初に開業した木更津~久留里間だけが残る形となったが、存続しているこの区間も利用者数の減少が顕著だ。1987年度の1日輸送密度は4446人だったが、2023年度には1072人にまで減少し、75.9%の激減となっている。久留里線に限らず、房総半島の内陸部や南部を結ぶ鉄道はどの路線も利用が低迷し、大幅な減少傾向にある。このまま何の対策も講じなければ、存続の危機が訪れるのは避けられない。
人口減少社会では、地域鉄道を守るには行政の地道な取り組みが欠かせない。沿線自治体が鉄道活性化に向けた取り組みを十分に行っているか、今一度点検する必要がある。久留里線のような状況になってからでは手遅れだ。